池波正太郎は鬼平の裏話として「芋酒」のことを書いています。
これをたしなんでいた人の実話から採ったのですが、
実に艶っぽいお話でした。
ビンさんのコラムはこれが最後となります。
有難うございます。
次のシリーズを期待しつつ、
最終回、おいしく温まるお話をご賞味ください。
年に一度のとろろ酒
池波正太郎の時代小説「鬼平犯科帳」に「芋酒」の登場する作品がある。
「オール讀物」の昭和45年11月号に掲載された「兇賊」という作品である。
芋酒屋の親父が犯人逮捕の重要な役回りをするのだが、
ストーリーは直接関係ないので芋酒の部分だけ紹介する。
「芋酒というのは……。皮をむいた山の芋を小さく切って笊に入れ、これを熱湯にひたしておき、しばらくして引きあげ、摺り鉢へ取ってたんねんに摺り、ここへ酒を入れる。つまり、ねり酒のようにしたものを、もちいるときに燗をして出す。」というもので、池波正太郎はこれを「一種の精力酒のようなもの」と記している。
この芋酒と同じものではないが、宮城県の鳴子町で一年に一度だけ山芋を使った酒を飲む行事が今も続けられている。
「とろろ講」という行事で、
毎年12月8日に鳴子町の温泉神社でおこなわれている。
神社に伝わる「とろろ講」についての伝承によると、
毎年12月8日は温泉神社の神様が鳴子温泉の源泉である「滝の湯」に入浴する日であり、とくに丑三ッ時は神の入浴時間として
人々は滝の湯に近づいてはならなかった。
一方その時間は温泉神社では神様が入浴のため不在となるので、
「湯守」と呼ばれる仙台藩から温泉の管理を任された老舗旅館の当主と
滝の湯の「湯番」が温泉神社で神様の留守番をし、
その時だけ特に許された「とろろ酒」を飲んだとされている。
現在の「とろろ講」は毎年旧暦12月8日に行なわれ、
氏子の有志が採ってきた「とろろ芋」(自然薯)を使って、
昼すぎから温泉神社の社務所で宮司がとろろ汁を作ることから始まる。
自然薯を皮のまま摺り鉢で摺りおろすが、最近は長芋も摺りおろして加える。これを摺りこぎで摺り、昆布のみでとっただし汁を加えてのばす。
味を付けないものと、
飯にかけるため醤油で味を付けたものの2種類を用意する。
午後3時から神事が始まる。
参列者は「講長」「祭典委員長」それに12地区に分かれる
氏子総代会の地区総代ら全員が男性で、
神事や「とろろ講」に女性の参加は認められていない。
このうち講長は江戸時代にの仙台藩から任命された湯守の旅館と、
昔からの地元の有力旅館3軒を加えた5軒の旅館の代表者から選ばれる。
神事は、精進料理ととろろ汁をのせた膳を神前に奉納し、
お祓いと祝詞奏上のあとの玉串奉典で30分ほどで終了する。
神事のあと参列者は社務所の大広間に下がり、
直会すなわち「とろろ講」が始まる。
講長の挨拶のあと、宮司が神酒を下げてきて、杯で全員に配り一同で飲む。
続いて宮司が熱燗にした徳利を持って
順に燗酒を銘々の膳のとろろ汁にそそいでまわる。
参会者はとろろ汁の入った椀を持ち上げて、
箸でかき回しながら酒を入れてもらい飲む。
以後は無礼講となり、広間の中央に据えられた大きな摺り鉢のとろろ汁を
各自が取って自分の椀に入れ、
とろろ酒を作って飲んだり、とろろご飯を食べて過ごす。
昭和30年頃までは、神事は夕刻に行ない
「とろろ講」は夜に開始して夜通しの宴会であったが、
とろろ酒は悪酔いしないということで、
実際かなり美味しいものであった。
(最終回 了)
(1)杜氏の栄枯盛衰(その1)
(2)杜氏の栄枯盛衰(その2)
(3)「仕次ぎ」は文化か虚偽表示か/平成17年2月2日「琉球泡盛試飲会」より
(4)昭和8年の酒造り(1)超甘口の安酒
(5)昭和8年の酒造り(2)“酒米へのこだわり”
(6)昭和8年の酒造り(3)コストに見る「酒税は酷税」
(7)幻の宮城県酒造組合史
(8)年に一度のとろろ酒
○新シリーズ「麦酒のいろいろ」
(1)ビール神社と麦のどぶろく
(2)なぜビール焼酎は存在しないか
All contents (C) copyright 2004. TOHOKU "SAKE" SIDE STREET. Japan