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我が国の屋根素材の代表選手は「茅」だった。
どこにでもあるので、材料費がかからない。
また、ふっくらと、しっとりとしているので、暖かく、涼しく、湿気の除去に優れていた。まさにこの国の、高温多湿の風土に適しているのだ。
今はむしろ、ヨーロッパで流行っているが、やはり迫力は日本がぴか一。
あちらの屋根は「野地板(下地にする板)」を先に張ってから「植毛」する、いわばアデランスタイプ。
そこへいくと、こちとら、下地はオガラ(麻のムシロ)のみで板はなく、その厚みも、なかには1m近い場合がある。れっきとした「地毛」と言った方がよい。この厚みで、空気だけは通すのに、水や雪をはね除ける。空調システムを内蔵しているようなものだ。
しかし一つだけ難点があって、とにかく火には弱かった。ご近所からの「もらい火」でも、よく燃えた。
明治期に輸入した(科学的な)「建築」は、まず国の中枢で開花したが、もっとも「近代化」が期待を受けたのは、関東大震災以後であろう。つまりこのころから、日本の至る所で、耐震と耐火を兼ね備えた鉄筋コンクリート造が「万能」とされはじめたのである。
近代=科学=鉄筋コンクリート、という訳だ。ひどいのはそれを踏襲したセンセイ方で、小生など1972年生まれながら、受けた大学教育は、100年前の志向と何ら変わることのない内容だった(だから半ば独学で学んでくるしかなかった)。もちろん木造だって負けてはいない。現存する、厚い土壁で覆われた「土蔵造り」の商家等は、明治期のものが多い。ただやはり、屋根の不燃性でいくと、瓦葺>板葺>茅葺の優位性は事実だった。
しかし、である。東京において、ご近所が近いのは当たり前だが、我が東北の「散居」はどうなるのだろうか。これは江戸後期からとくに発達したとおもわれる独立性のつよい居住形態で、イグネで囲んだ屋敷は、ひろい水田耕作に合わせるように分散され、隣まで1kmもある場合がある。そう、明治期の耐火不燃志向だけに問題があるのではなく、明治以降の極端な中央集権法治主義が問題なのである。東京で抱えていた問題を解決する科学と法規を、全国展開した。
建築や不動産でいわれる「建ペイ率」というのがある。建物面積が敷地の何%にあたるかを示す数値で、都市型住宅地では60%なんてのが普通だ。しかし小生がとある城下町で調査をしてみると、10%くらいが普通だった。敷地が500坪あれば、当然そうなるだろう。
つまり都市計画なんてものは自前で構築するものである、という自明の理にぶつかるのだが、問題は容易ではない。都市計画法に定める都市計画区域とあらば、基本的な計画条項が決まってくるし、適当な数値を求めるには時間と人手がかかるから、「安全側」になるよう決めていく。そうすれば、「都市型耐火方策」を田舎に輸入するのが無難極まりない、となるのである(例えばヨーロッパでは、州の自主性を重んじ、このような安直な方策は採っていない)。
では合掌造りの飛騨高山や大内宿は?との疑問もわくだろう。これは文化財保護法に定められた「伝統的建造物群保存地区制度」によるもので、現在はすでに、60カ所を超える地区が選定されている。この制度はそもそも、人が住んでいる地域環境を文化財として保存継承しようという目的で30年前に導入され、その背景には経済成長期の民家の激減もあった。著名な寺社仏閣や民家園はあっても、地域の暮らしをそのまま伝える文化財は不十分だったからである。文化財の面
からいえば、国宝や重要文化財といった単体の文化財ではなく、
また風景や記念性を継承しようという、松島のような「名勝」でもない「面
的な文化財」にあたる。
そしてこの制度を導入するときに直面するのが、建築基準法を中心とした安全衛生主義と、文化財保護との矛盾である。構造体は金物で補強しなくてはならない、とか、かまどの周囲は不燃材料で覆わなくてはならない、といった、おおよそ民家を全否定するかのような条文の類いである(もちろん安全は第一だが・・)。
ちなみに伝建地区の場合、建築基準法では、地区内に建つ「指定物件」が基準に乗らなくとも、きちんとした保存措置が採れるようになっており、とくに重要な公開民家等は、ほとんどの場合屋根にスプリンクラーが設置されていたり、消火栓が整備されている。逆にいえば、茅が信用されている訳では「全く」ない。許されるのは「指定物件」に限っているし、新築物はすべて指定物件以外の物件だ。「俺は茅葺きを建てて住みたいから伝建地区へ移住する」とはいかないのである。
我が国の建築文化は、「既存不適格」をもってしか、継承できないのが現状なのである。いいかえれば、面
白いのは「既存不適格建物」の多く残る場所、ということにもなろう。その候補としては先ほどの伝建地区、あるいは都市計画区域外の農山漁村などが挙げられる。
何も「過去へ回帰せよ」などというのではない。小生などが申すまでもなく、茅葺きが面
白いのは事実だし、文化レベルの最前線をいくヨーロッパが、乾燥した風土なのに「茅葺き新築」をステイタスとしていることをみても、単に可燃性だけで切り捨てる素材でないことは明らかなのだ。地域が地域で安全衛生の手法を確立しながら、もう一度風土に叶った素材をつかって、美しいまちをつくれるようになる、そうした時代が来るまでは、新しいことも古いことも、常識も非常識も、堂々と試行錯誤すべきだ、とおもうのである。
(続く)
大沼正寛
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